人格統合調和法を体験して

hinomotog

夜勤のあるハードなお仕事を続けながら、毎週練功会に熱心に参加されている修練者の方が、「人格統合調和法」を受けられたお子さんの体験談を届けてくださいました。

今回の原稿をいただくまでに、下記のような経緯がありました。

皆様にもお伝えしたいと思ったので、読んでいただけるとうれしいです。

実は、私は、彼女のお子さんの詳しい事情を知らずに、体験談の依頼をしました。「もし、ご家族に人格統合調和法をかけられたことがあったら、体験談をお願いできませんか」と。

彼女は「いいですよ。ちょっと時間がかかるかもしれないけれど」と笑顔で引き受けてくださいました。

しばらくして、彼女の方から「もうちょっと待ってくれる?明日娘に会いにいくの。この内容でいいかどうか、確認してくるから。」と文章に間違いがないか確認までして、本当に一生懸命書いてくださいました。

届けられた文章は、娘さんに対する思いと元極に対する信頼にあふれたものでした。あまりにも、詳しく書かれており、個人が特定される可能性もあるので、このまま載せてもいいのか、再度確認を取りました。

すると彼女は、「大丈夫。娘もHPにのってもいいと言ってるから。」とびっくりするほど、迷わず許可をくださいました。そのときの彼女の声からは揺るぎない決意を感じました。

なかなか核心に迫る体験談を書いてくださる方はいないので、本当にありがたかったです。

==============

私には大学生の娘がいます。
彼女は、小学校高学年の頃には、薬剤師になるという自分の将来を決め、その道に進むように本人も努力し、高校の3年間は親の私でさえ良く頑張ったなと思うくらい勉強し、今の大学に入学することが出来ました。但し、入学するにあたって本人と夫と私で約束した事がありました。
それは、6年間と長い学生生活を送らなければならないこともあり、4年制大学の子達より就職が遅れるということ、私立大である為、学費が高額なので、絶対に留年はしないことでした。

1年生の頃は、友人も居ない知らない土地でのひとり暮らしということもあり、真面目に取り組んでいました。
2年生になり、友人もでき、土地勘もでき、学生生活にも慣れ、居酒屋でアルバイトを始めました。
オープニングスタッフということもあり、全てのスタッフが初顔合わせで、ほとんどが学生アルバイトで占めていたため、楽しいアルバイト生活が始まったのです。

大学の講義が終わり、週に2~3日、バイトし、遅い日は終電で帰るという日を送るようになりました。
バイト先は他の大学生や専門学生、下は高校生といった顔ぶれで、とても刺激的だったのでしょう。休みが合えば一緒に遊ぶなど楽しいことにはまり込みだしました。
そうこうしている内に、バイトと遊びに夢中になり、勉学もおろそかになり、学業についていくことも困難になり10月の頃には留年が確定してしまいました。
たった半年のバイト生活を送るだけで、1年間を無駄にしてしまったのです。

留年が確定したのにもかかわらず、親である夫と私には黙ったままの状態。夫と私が知ったのは、しばらく時間が経過してからでした。
伝えられたときも当の本人は、ただ泣いてばかりで「ごめんなさい」の一言も無い状態。
親の私としても、入学時の約束も破られ、謝ることもせずで、怒りの言葉を投げつけました。
「そんな生活をしているのなら大学を辞めなさい。今まで支払った分のお金を返して!」と。

彼女もその時、勉学についていけない大学生活を送っていいのか真剣に考えたのでしょうか、大学を辞め、就職すると言い出したのです。
あれだけ頑張って勉強してきたのに・・・
少しばかりバイトをして稼ぐということを、覚えたからでしょう。
自活できると思い込んだようです。

私は当時、留年したことを謝り、学業を続けさせて欲しいと言ってくるものとばかり思っていましたので、「なんでこうなるの?」の思いばかりでした。
また、自分の子育ては、間違っていたのかという情けなさもあり、泣けてきました。
夫とも相談し、ここまで来たのに大学を辞めるなんてもったいない、続けるよう説得しましたが、本人の意思は堅いものでした。

そこで日之本元極の先生方に相談したところ、娘に「人格統合調和法」をかけていただくことになりました。
すると、あれだけ頑なに大学を辞めると言い張っていた子が、徐々に考え改め始めたのです。
大学を辞めることに未練があることを正直に話すようになりましたし、長年の夢であった薬剤師になれるのであればなりたいと言ってきました。
娘の大学は、留年したら同じ学年を3回は出来ないようになっています。例えば、2年生を留年して2回やったら、その後、3年生になれなかったら退学しかないということです。
その不安や、単位を取れなかった科目を次回はとることが出来るのかという不安も私たち両親に相談するようになりました。それまでは、相談もありませんでしたから・・・

徐々に考え改め、正月を実家で過ごし、アパートに帰るころに、留年してしまったことをしっかり謝り、もう一度大学で学ぶチャンスが欲しいと頼んできました。
あれだけ説得しても親の言う事なんて耳も貸さず、大学を辞めるといい続けていた子がです。

これほど、人の考えが大きく変化するなんて!と言う思いと、喜びで感謝しかありません。親の思いを押し付けてしまったのかという想いもありました。
しかし、この変化を見て、本来この子の進むべき道なんだと再確認できました。
人は、どうしても楽な方や楽しい方に流されがちです。
そんな方ばかり選択していていいことは無いと学んだと思います。辛いこと、苦しいことを乗り越えて、よい人生が送れると学んだと理解できたと思います。
当たり前の事なんですけどね。回り道はしたけれど、この子の人生において、経験しなくてはならないものだったのかなと思います。

今ではバイトも辞め、2年次の勉強をし直しています。
長年の夢である薬剤師に近づけるよう頑張っています。
これも、人本来の進むべき道に修正をかけて下さった日之本元極のおかげだと思っております。
皆さんに、この体験が少しでもお役にたてるのであればと書かせていただきました。
ありがとうございました。